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活字が刻んだまちの記憶

「信州印刷大町工場」。 そう書かれた看板を掲げたこの店は、私の住む家と同じ町の旧街道沿いの踏切近くにある。その昔は通り沿いにずらりと荷継宿が並び、この辺りに津料(つりょう:通行税)をとる関所があったということを最近知った。元工場兼住宅に住む宇佐美麗子さんは数年前に工場を閉じるまで長年にわたり市内の学校新聞、市町村広報紙、企業機関紙などの印刷業を営んできた。

宇佐美さん(以下、敬愛を込めて“おばちゃん“と呼ばせてもらう)は台湾生まれ。先の大戦中におばちゃんのお父さんが台湾で印刷業を営んでいたためだ。広東で暮らしたのち、香港の小学校に入ってまもなく、終戦直前に日本に引き揚げてきた。戦況が激しくなる中、船で朝鮮半島に渡り、列車で半島を横断、再び船に乗り換えて命からがら帰国した時のことを覚えているという。


好奇心旺盛で美術館や映画館、コンサートなど興味のある場所にはどこにでも出かけていく。どこか大陸的でたくましく、おおらかな人柄は幼少時代の環境も影響しているのだろうかと勝手に想像する。

その昔、活版印刷が盛んだった頃の話を聞いて、何か機材が残っていないか訊ねたことがあった。今でこそ人気復活だが、オフセット印刷に切り替わってから久しいため、全て処分してしまったと聞いて残念がっていたところ、こんなものが出てきたと手渡してくれたのが一冊の写真集。


「黒部川第四水力発電所 建設工事寫眞輯(写真集)」。目次の印刷所の欄に「信州印刷株式会社 大町工場」の文字。昭和30年代、ダム工事建設当時の大命題だった安全活動の一環で発行されていたニュースや写真集などの刊行物の印刷を一手に担っていて、約60年前の写真集が最近になって手元に戻ってきたそう。


ざらついた紙に白黒写真と活版の味わいのある活字が並ぶその写真集は、厳しい自然の中での建設風景や無機質なはずの発電所が美しく、少なめの文字で綴られた文章はどこか文学的でさえある。

「そのへんに活字の残ってるのが転がってるかもしれない」と言われ、部屋の小物入れの中を探していると、名刺ケースの中からいくつか破片が。「あった!」思わず声を上げる。

世紀のダム建設を町全体で支えたこのまちの歴史の一片を、元町工場の片隅で見つけた気がした。



信州印刷株式会社

大町工場 大町市五日町ふみ切北

(本社 松本市島立619−7 )


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